自己紹介
私のコンピュータ遍歴
学部の卒論の時(昭和50年ころ)
卒論のテーマは、X線画像の画質改善処理で、FACOM270シリーズのコンピュータを画像処理用に使っていました.当時としては大変贅沢な設備で卒論をしていたものと思います。4階の研究室内のミニコンピュータでX線写真画像を磁気テープに書き込んで,それを地階のコンピュータ室にあるFACOMで読み込んで計算処理し、その結果を再び磁気テープに書き込み,その磁気テープを4階の研究室まで運んで,印画紙に焼き付け出力して,最後は研究室内の暗室で現像する。この作業を徹夜で繰り返しやったことがあります.何しろ、画像処理の結果の良し悪しは、処理画像を印画紙に焼き付けてみないとわからないのですから、それは大変だったのです。助手の先生に徹夜を何度か付き合ってもらいました.当時は、教員がいないと午後6時以降は残業できない制度となっていました.画像処理の元となる写真は,医学部の実験棟で,一人でX線装置を使って撮っていました.X線装置の免許もない学生が一人でやっていたので, これも今思えば とんでもないことですね.
計算機の使用言語はFORTRANで,紙テープに小さな丸い穴をあけることによりプログラムを紙テープに書き込んで,コンピュータに読み込ませていました.鉄腕アトムなどの昔の科学漫画にでていた「あれ」です。もちろん,使うときは独占利用です.大勢で一台のコンピュータを使用できるカード式のバッチジョブ型やTSS方式になったのはその直後。修士課程で別の研究室に移った時に、TSS端末からプログラムを入力、メインフレーム計算機で実行できて、すごいと思ったのも、今では懐かしいですね.その頃のメインフレームコンピュータより高性能なパソコンが比較的安価に利用できるようになった今と比べると、隔世の感があります.その分、人間の質は退化しているようにも思えますね(笑)。
ところで、そのFACOMコンピュータを使って,大学祭の時には,お客さん相手に人生占いもしました.氏名,生年月日,性別を紙テープに打ち込むことによりコンピュータに入力するシステムです。姓名判断,四柱推命,星占い,を混ぜ合わせた,いい加減な,でも,ちゃんとアルゴリズムのある占いでした.ラインプリンタに占い結果を出力して,今思えば,よくやったものです.占いの本を買ってきて勉強してデータを作成していました.データを少し変えると結果も変わるので,不思議がられて好評でした.
メインフレーム(大型計算機センター,バッチ+TSS)
大学の大型計算機センターのコンピュータは日立製でHITACと呼ばれていたと思います。修士論文では産業連関表をエネルギー分析に応用することをやっていました。400変数程度の連立一次方程式を解く必要があり、今ならどんなパソコンでもあっという間に解けるのですが、当時はメモリの容量が限られており、プログラムで使用するメモリの量を極力節約するアルゴリズムでプログラムを組んでいました。それでも、かなりの計算時間を要するというので、これも、研究の本質ではないところで、苦労したとことを記憶しています。そのことは、当時の指導教員の先生はご存知ないことでした。これも、今では考えられないことですね。
大学を卒業して、京都大学に助手として赴任しました。そこでは、最初は大型計算機センターを使って、日本のエネルギー需給最適化モデルを動かしていました。ただ、当時は、IBMの線形計画法のプログラムしか無く、今のような式を書けば解いてくれる便利なユーザーインタフェースが備わったような代物ではありませんでした。そのため、人間が読んでわかるような式を入力してIBMのソフトが理解できる形に変換するプログラムを自分で勝手に書いて、実行していました。今思えばかなり面倒なことをしていたな、と思いますが、当時は何とも思っていませんでしたね。